赤 と ん ぼ

 

赤 と ん ぼ  (山田 耕作 作曲)

Akatonbo (Yamada)

(マンドリン・アンサンブル、2'01"、MP3 : 1.9MB)
(写真は 東京: 高尾山 山頂からの眺め)

夕焼小焼の 赤とんぼ、 負われて見たのは いつの日か。
山の畑の 桑の実を、 小籠 (こかご) に摘んだは まぼろしか。
十五で姐や (ねえや) は 嫁に行き、 お里のたよりも 絶えはてた。
夕焼小焼の 赤とんぼ、 とまっているよ 竿の先。

 1921 (大正10) 年 8月に 雑誌 「樫の実」 に発表された 三木露風 (1889-1964) の詩に、日本音楽界の重鎮というべき 山田 耕作 (1886-1965) が曲をつけたものです。 nobrアリcenterアリ
 
 ト長調、4分の3拍子。 今さら言うまでもなく、現代の日本人の心にも生きている原風景ともいえる情景を現わした、名曲の誉れ高い曲です。 兵庫県たつの市に生まれ、両親の離婚とともに幼少の頃から祖父に引き取られて成長した三木露風の詩そのものに、誰でもがもっている遠い子供の頃の感覚や 露風自身の思いへの共感のようなものを起こさせるものがあり、それと不離一体となった曲ですね。 また歌詞 3番の "15才で嫁に行く" という、生活苦に起因する "口べらし" も少なくなかった時代の当人はもちろんその周囲の人達の心情はいかばかりか、なども思いやられるところです。
 
  そして さらには、1番の "背負った方の人" は 15才で嫁に行った姐やなのか母親なのか、また 3番の "お里のたより" も 同じく姐やからのものか母親からのものか、あるいはその周囲の人たちからのものか、そもそも作詞者の生い立ちがどこまで反映された詩なのか、など、色々想像させるものがあります。
 
  それから曲の面でも、"アカトンボ" の アクセントが、普段の会話などでの "カ" ではなく、この曲では "ア" に強調点があることの現代の日本語から見た違和感についての考察がよく話題になります。 私なりの勝手な想像では、どんな天才の手にかかったとしても "カ" の方にこだわっていたとしたら こうした名曲は生まれないのではなかろうか、と思います。
 
 なお当サイトには 「宵待草」 など 他の日本の唱歌 も Upしてありますので、お聴きください。