タイトル


 2002年 1月 〜 6月 の 今月のひと言 .

  イチロー & オザワ  2002年 1月 1日

 昨年の イチローの米・大リーグでの活躍は、何かと暗く厳しい話題の多かった世相の中で貴重な明るい材料を提供してくれました。 ウィーン: 国立歌劇場

 野球やサッカーなどでのそうした世界の檜舞台での日本人の活躍は、我々に やる気とか希望ををもたせてくれるものですし、さらには ひょっとして我々もその気になれば地球を相手にあばれてみせることもできるのではないか (!?) という大胆不遜な気さえ、ちょっぴり もたせるようです。

 クラシック音楽界でも、先月書きました チョン・ミョンフン も韓国の人達にはそうでしょうが、日本の 小澤征爾 (参照: ウィキペディア) など かなり以前から そういう期待を もたせてきてくれた人達の筆頭ではないでしょうか。 この9月の ウィーン国立歌劇場 (写真右) 監督就任を控え、今日、ウィーン楽友協会ホールで行われる伝統の ニュー・イヤー・コンサート で 日本人として初めて タクトを振ることも、そうした経緯のなかでも 大きな エポックだと思います。

  ....という分けで、昨年10月頃から 「この元日は ヨハン・シュトラウスの 喜歌劇 「こうもり」 序曲 を Upしよう」 と曲データの入力にとりかかりましたが、この曲は とりわけ オタマジャクシが多く、音づくりの調整も含めて 入力作業 には ひときわ難渋し、また暇をみながらの ポチポチ作業ということもあって、やっと今日に間にあわせることができました。 ....いくら イチローや オザワが期待をもたせるからと言って、乗りすぎでしたかね (^_^ゞ。

  ポ ル カ 「 と ん ぼ 」  2002年 2月 1日

 前月の 「ひと言」 の続きにはなりますが、今年元日の オザワ の ニューイヤー・コンサート は大成功でした。 ここ近年の他の指揮者の演奏と比べても 最も出来の良い演奏ではなかったでしょうか。 その後すぐ発売された CDも日本国内に限らず大変な売れ行きと聞きます。

 その曲目の中に、今回も ポルカ・マズルカ 「とんぼ」 が入ってましたね。 この ニューイヤー・コンサート でも 割とよく演奏され、つい 2年前 (2000年) の リッカルド・ムーティーが指揮した時にも演奏されていましたが、日本人の共感を誘いやすい、もちろん私も大好きな曲です。

 この曲は ヨハン・シュトラウス2世の弟の ヨーゼフ・シュトラウス (1827-1870) 作曲で、わずか 4分位の、現実には音を感じることのない とんぼ の飛翔を鮮やかな絵に描いたようなきわめて分かりやすい曲で、彼の 「天体の音楽」、「オーストリアの村つばめ」 などとともに、彼の 自然描写力、心象描写力の凄さを感じさせる、表題音楽の極みのような曲だと思います。 リムスキーコルサコフの 「 熊蜂の飛行」 などと比べても、単なる "とんぼの飛翔" の描写に留まらず、そこに文化がある、というか、そうした自然界と溶け込んだ土地の文化、さらには "自然に生かされている人" をも感じさせられる点で、はるかに勝るように思います。

 ただこの 「とんぼ」 も、ニ拍子の舞踏曲である "ポルカ" の方を意識した演奏と "とんぼの飛翔" のイメージに重点のかかった演奏とで ずいぶん雰囲気が異なりますが、後者を意識したといえる今回の 小澤征爾 の演奏では、スイスイと空を飛べる とんぼに対する "あこがれ" さえも感じさせられます。

  ....私も いずれ楽譜を入手し、入力したいと以前から思っていた曲ですが、ただ マンドリンでは とてもそうした感じは出せそうもない、いや近づけそうもないのが残念 (-.-)。 作るとすれば おとなしく原曲通りの管弦楽版で、でしょうね。

  年 の 功  2002年 3月 1日

 昨年12月29日に 朝比奈隆 (参照: ウィキペディア) が 93歳で、そして先月・2月の14日に ギュンター・ヴァント (参照: ウィキペディア) が 90歳で 亡くなりました。 いずれも長命の指揮者で、各々の人生の様々な経験を超えてきた結果として、一口で言えば "枯れた" 演奏が大きな魅力になっていました。 各々に若手の演奏家などがどう逆立ちしても出せない、年をとならいと出てこない味が 「長生きも "才能" のうち」 という言葉に納得性をもたらしていた二人でした。

ピアノ  ....と言っても、今日本の企業で 反省・見直しが進んでいる年功賃金についていわれる 「年をとるだけで功績が上がるというものでない」 のと同じで、当然ながら 音楽などでも ただ年とともに自然に演奏の質が上がるとか風格が出るというものでもなく、若い頃からの、そして高齢になっても続く不断の努力の積み上げがあってのことでしょう。

 若手の技術的な能力の方が前面に出た優等生的な演奏などを聴くと、あらためて長命の人達には 「いつまでも長生きして、その "才能" を伸ばしていってほしい」 と思わされますし、若手にも 「今後の 艱難辛苦を含む経験の積み上げが 音に生きてきてほしい」 と期待されます。

  フジ子・ヘミング  2002年 4月 1日

 ここのところ演奏家の話題が続きますが、今回も、たまたま 3月中旬に フジ子・ヘミング (参照: ウィキペディア) の演奏会を聴きに行ったこともあり、この話題を....。

 ここ数年、急速に人気の盛り上がった彼女の演奏会は やはり満席で、特に中高年の女性の多さが目立ちました。 3年前の NHKの番組 : ETV特集の 「フジ子〜ある ピアニストの軌跡〜」 で彼女の生い立ちから現在に至る、並々ならぬ辛酸の記録が放映されて大反響を呼び、特に クラシック音楽に詳しくない人達にも共感を与えたことが大きいと思います。

 しかし ナマで演奏を聴いて、あらためて 恐らくそうした経験が作り上げた音の柔らかさ、まろやかさなどが、逆に彼女の経歴に詳しくない人達にも大きな感銘を与えているいることも事実だと思いました。 ....どんなに早い フレーズでも、人を包み込むような柔らかさを失うことがない演奏は、他の第一級の ピアニストの中でも比類がないと言えるでしょう。

 わずか 3か月で 30万枚も売れたという彼女の CD:「奇跡のカンパネラ」 の タイトルにもある リストの 「ラ・カンパネラ」 の演奏などでは 客席からすすり泣きも聞こえるという噂もあり、確かに今回もそれらしい "音" も聞こえました。 が、今は なんせ花粉症の季節だったもので、.....(・・?。

  私と デジカメ  2002年 5月 1日

 私は未だに デジカメらしい デジカメは持っていないのです。 ....私の HPで使う 写真 などは、デジタル・ビデオ (SONYのハンディカム) か カシオペア に挿して使う、いずれも 30万画素程度の カメラで 何とか足りていたものですから。

SONY ハンディカム PC120  でも 個人の記念写真として アルバムに貼るには 30万画素 の写真では不足で、旅行の時などには デジタル・ビデオの他に 撮りっきりのカメラも持って行ってました。 しかし 海外旅行などでは数本持っていく必要があり、一方で普段は 1本の フィルムを現像に出すまでに 半年以上もかかっていたりしていて不便で、その間 デジカメの方は小型でも画質が良くなってきたことから、やはり 買おうかという気にもなっていました。

 ところが私の外出時の持ち物は、本、デジタル・ビデオ、PDA、ケータイ、MP3を入れたコンパクト・フラッシュ、ヘッドフォン、そして場合により それらの バッテリーと、重いものばかり ズッシリ & ガチャガチャで、そのうえで デジカメまで持つのは やはり 「もうカンベンして」 といった感じです。

 ということで、結論。 ....今までの ハンディカムは息子に譲り、やはり ハンディカムの、動画 97万画素、静止画なら 139万画素の メガ・ピクセルのもの(右の写真) を買いました。 お陰で何とか持ち物を 1つ減らすことができましたし、肝心の画質も ハガキ・サイズ位の大きさなら、アルバムに貼る記念写真としても十分だと思っています。

 それから デジタル・ビデオの大きな特徴として、豊富な動画から 1コマ単位に選択して静止画を取り込める点があります。

 ....ということで、未だに 普通のデジカメ売り場で売っている デジカメらしい デジカメは持っていないんです。

  イ エ ペ ス  2002年 6月 1日

 ナルシソ・イエペス (1927-2002) (参照: ウィキペディア) が 69歳で亡くなった 5年前に 追悼の意味で 「アストリアス」 を Upしましたが、先月 「ラモーのメヌエット」 の マンドリン演奏版ギター演奏版 を Upしたのを機に、彼について ひと言 。 ....彼が何度目かに来日した時に 私が聴きに行った演奏会での思い出です。

ギター  彼の実演そのものはレコードで聴くよりもアクの少ない、その意味ではやや物足りなさを感じたものの、一方で磨き抜かれた音づくりには 堪能させられました。

 しかし問題は、私も含めて 聴き手でした。 アンコールが 5曲位終わっても拍手が鳴り止まず、7〜8曲終わったところで、遂にという感じで 「禁じられた遊び」 が演奏され、それが終わると、さぁ〜っと波が引くように客が引き上げていったのです。

 後年、朝日新聞の日曜版で、朝日の記者が彼のスペインの自宅に尋ねてインタビューし 「禁じられた遊び」 に話が及んだ時、彼は なんともいやな顔をして話したくない様子だったという話が載っていて、それを読んだ時、私も 「さもありなん」 と、彼を気の毒に思った(思えた) ものです。

 同じような話では たまたま10日ほど前の新聞でも、3年前に 97歳で亡くなった、「アランフェス協奏曲」 で有名な ホアキン・ロドリーゴ の娘さんの セシリア・ロドリーゴ が、若手ギタリスト・村治佳織との対談の最後で、「アランフェス以外にも沢山の曲がありますよ」 と 日本のファンに向けて言ってました。 何年か前の日本の誰かとの対談でも最後に同じようなことを言っていましたが、やはり余程のことがあるのでしょう。

  ....日本人は底が浅いなどというのは簡単ですが、難しいものです。 ....そういえば フジ子・ヘミング なども 「ラ・カンパネラ」 では、そろそろそういう心境かも....(?!) 。 



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