2006年 1月 〜 6月 の 今月のひと言 .
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i P o d 2006年 1月 1日
昨年末に "iPod" を買いました。 アップルの携帯音楽プレーヤーとしてここ数年 人気急上昇し、昨年は 新製品が相次いで発売になったこともあって、マスコミでの話題はもちろん、街中で見かけることも 一段と多くなり、いよいよ私としても黙って見過ごす分けにはいかない状況にはなっていました。
今まで私自身、外出時にはほぼ必ず パソコンの VAIO-U を カバンにいれて、自分の作った MIDI を中心に CDから取り込んだ クラシック曲などを聴いていたのですが、それらを iPod で聴くとなると、MIDIはそのままで聴けず、MP3 に録音して取り込む必要があり、それが ネックになっていましたが、手持ちの MIDIの MP3化 もほぼ完了した今、iPod を買う環境も整ったという状況変化もありました。
私が買ったのは 30GBの ハードディスク・タイプのもの (右の写真) ですが、使い心地は誠に快適 (^0^)。 小さい・軽いとか、7,000曲も入るとか、写真や ビデオ、それに ラジオや ビデオ・ニュースなども取り込んで見れるとか、デザインが良いとか、等々...ということもさることながら、特に管理ソフトである "iTunes" との連携も含めて 使い勝手が非常に良く、iPod自体の スクロール・ホイールの感触などとも相俟って新しい ミュージック・ライフとそれ以上のものをもたらしてくれる気にもなりました。 私にとって感動ものと言っても良いくらいです。
...ところが、...既に iPod を愛用している、元々 アップル派の我が息子の薦めもあって、早速 iTunes Music Store に会員登録したまでは良かったものの、クラシックの楽曲を買うとなると、...タイトル数も未だ少なく、しかもこれが誠に探しにくい (-_-;)。 第一、演奏家というか "アーティスト" 中心で "作曲家別" という概念がほとんどない商品リストになっているため、例えば誰作曲の "交響曲 第1番" なのかも分からないものがあり、当然そんなものを買うなんていうことはできず、結局未だにここからは曲を買ってないという有様ではあります。
クラシック音楽は 元々 メジャーな ジャンルとは思ってはいませんが、でも、「それにしても、あまりにも、ねぇ (-_-)、...」 という気がします。
我 慢 会 2006年 2月 1日
モーツァルト生誕250年にあたる年ということで、この元日、その代表作である 「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」を Upしました。 クラシック・ファンで知らない人はいないくらいの有名な曲で、私もこの曲には今まで何十回、いや百回以上は耳にしてきましたが、今日はこの曲で いわば "我慢会" を経験した話を、...。
彼の生まれた ザルツブルグの象徴である ホーエン・ザルツブルグ城では、夜になると各国から来た観光客向けに アンサンブルの コンサートが行われていて、私が ここを訪れ 聴いた時の プログラムにも当然のようにこの曲も載っていました。
その日は 10月というのに暑いくらい天気も良く、朝から ザルツブルグの街中をあちこち見て歩き、昼から ビール、そして夜も当然 ビールを飲んで満腹状態。 さてそれから コンサートという夜になると、今度は冷え込んできて、ケーブルカーで城に上がって会場に入ると、中は暖房で ほかほか、....。
ここまで読んでお気づきのように、せっかくの 「アイネ・クライネ」 もまともに聴いていられたのはほぼ最初くらいで、後はほとんど眠気と トイレの "我慢会"。 会場内でも 何処の国の方か、うなだれたような姿で寝入っていた人も散見され、終わって席を立つと、(自分がそうだからかも知れませんが) 赤い顔をして "やっと開放された" という顔をした人も少なくないような気もしました。
今思い出しても、記憶に残っているのは 隣りに座っている家内とお互いに突っつき合って姿勢を正すことだけで、その後 二人でこの話になるとお互いに 「あの時は参った、参った」 の言葉が出てしまいます。 ...思えば我ながら以前もこのような失敗もなくはなく、コンサート前には ビールなど飲まないのは常識的なたしなみとは思っていたものの、最近の日本の会場では冬などは若干寒いくらいの温度設定がされるようになって、しばらく "我慢会" を忘れてしまっていました (^_^;)。
「トゥーランドット」 2006年 3月 1日
"日本はメダルなしで終わるのか" とさえ思われた トリノでの冬季オリンピックの終盤になって、"メダルなし" どころか、なんと 金メダルがもたらされたことは、やはり嬉しい驚きとなりました。 お陰で、その日 (2月24日)の テレビでは 荒川静香選手の演技の場面とともにそれに使われていた音楽の 歌劇 「トゥーランドット」 の中の アリア : 「誰も寝てはならぬ」 が ニュースの度に流れていましたね。
「トゥーランドット」 は フィギュア・スケートの バックにはよく使われるので そう珍しいものではないものの、日本では同じ プッチーニの 「蝶々夫人」 ほど知名度がないせいか、その題名自体初めて聞くという人も少なくなかったでしょうが、これを機に日本での知名度は だいぶ高まったのではないでしょうか。
この オペラは北京を舞台にした、トゥーランドット姫の婿選びの、いわば大人向けの寓話劇ですが、「誰も寝てはならぬ」 を筆頭に、さすが プッチーニならではの音を存分に味あわせてくれる オペラだと思います。
私は、「たまたまこの オリンピックの開会式で パヴァロッティが歌ったのがこの歌だったところから、荒川選手にとって運命的な予感を感じさせた」 という記事を読んで、"さもありなん" というか "な〜るほど (^.^)" と思いました。 「夜明けになれば私の勝ちだ。私が勝つのだ。」 という歌詞がまた彼女に "やるぞ"、"やれるぞ" といった気持ちを高めたようにも思います。
ここ一番という タイミングの時に たまたまある音楽が流れてきて、それに勇気づけられるということは 十分あり得ることで、あらためて "音楽のもつ力" といったものも感じさせられましたし、そうした意味で "運も実力のうち" という言葉も多少は裏付けられたように思います。
...ついでにもう一言。 ...深夜から夜明けまでの放送となった日本での多くのファンにとっても 「誰も寝てはならぬ。夜明けになれば私の勝ちだ。」 とは、これも運命的な結果を示唆したものとなったと言えるようです。 ...で、"にわかファン" の私自身は、と言うと、.....専ら "果報は寝て待て" の方を決め込んでいました (^^ゞ。
カ ラ ヤ ン 2006年 4月 1日
最近、何十年ぶりかで昔の "レコード・コンサート" ならぬ "CDコンサート" を聴く機会があり、そしてこれまた何十年ぶりかで カラヤン (1908-1989) の 「田園」 (ベートーヴェン作曲 : 交響曲第6番) を聴きました。
ヘルベルト・フォン・カラヤン (1908-1989) (参照: ウィキペディア) といえば、ベルリン・フィルが初めて来日した時は日本中大変な騒ぎで、NHKテレビが連日夜の ゴールデンアワーに ベートーヴェン・チクルスを放映したものでした。 私も切符を買うのに徹夜で並んだのも今では懐かしい思い出です。
ただ その当時も 「"帝王:カラヤン" も多分亡くなったら、この人気も下降するだろう」 などと言う評論家も少なくなく、実際、今 フルトヴェングラー、トスカニーニ、ワルター などと比べるとやはりその感も否めないと言ってよいと思います。 一口に "美的感覚に優れてはいるものの 無機的" とか、"現代感覚には マッチしているものの芸術性には乏しい" というのがその主な論点であるように思います。
確かに久しぶりに彼の 「田園」 を聴いて、この曲の最後に大きな安堵感をもって終わる部分で、エーリッヒ・クライバー や ワルターなどの、テンポをぐっと落とし、大きなため息をついて終わる名演に比べると、ため息の余地もなく さらっと終わる演奏には、やはり あらためて拍子抜けしました。
...例えば フルトヴェングラーなどには 速くあるべき所が早すぎる、遅くあるべき所が遅すぎるということはあっても、カラヤンのように速くあるべき所が遅い、遅くあるべき所が早いということはないような気がするのですが、そうした意味で 上手い下手とか、良い悪いという問題よりも、例えば会話していて 時々 "波長が合わないな" と感じさせられることがある人というような気がします。
しかし カラヤンの 色彩感覚については抜群で、ドビュッシーの 「海」 とか ストラビンスキーの 「春の祭典」 などをはじめ、19世紀後半から 20世紀前半の作曲家の、特にそうした色彩感のあるような曲の演奏などは見事なものだと思いますし、彼自身が録音技術などにも こだわった点なども頷けるものがあります。 私自身の経験では、昔 彼の ベルリン・フィルとの共演で発売された ブラームスの交響曲全集を聴いた時など、それまでは モノクロであった曲が カラーになったような気がしたものでした。
B G M 2006年 5月 1日
他人様からいただくメールや他の HPには時々見惚れつつ聞き惚れてしまう BGM (バックグラウンド・ミュージック) がありますが、そうした中に、例えば "日本の風景写真にイタリアの音楽" とか "海の写真に山の音楽" が使われるなど、一見違和感たっぷりなものもままあります。 ...が、それらの中には何か新しい発見をしたような気分にもさせてくれるものも少なくありません。
メールのひな型集などの HPに使っていただいている私の曲では、"可愛いいお化け" の絵に 「降誕祭」 の夜曲 とか、"夏の花火" の絵に 「はかなき人生」 の舞曲、"雪山" の写真に 「真珠採り」 、などなどがあり...、誰もがこうした組み合わせだけ聞くと何を考えているんだろうと思うに違いないでしょう。
先日も ある方の "山" の写真に 「魅惑島」 が使われていた HPを拝見しましたが、海の荒々しさや波の穏やかさなどを表わしているであろう音がその ページでは山の険しさや静寂さ・崇高さとなって聞えてきます。 曲の題名などに拘らず素直に写真と音楽を結びつけて見ると互いに引き立てている効果はなかなかだなと納得 & 感心させられました。
...それらの選曲に際しては多くの場合、例えばある山の写真の BGMとしてそれに相応しい曲を選んでいったら、結果として "海の音楽" に行き当たったということでしょう。
一方私の HPでも 写真 を載せた頁がありますが、音楽が先にある HPでもあるために、そこで使う写真は、やはりそれに合ったものでないと、どうしても無理が出てしまいます。 聴いていただくことが主眼の私の頁では、結局、やはり海の音楽には山の写真は載せられません。
こうしてみると、あらためて "絵を引き立てる時の音" と "音を引き立てる時の絵" という、いわば目的と手段の違いもさることながら、"絵の具体性" と "音の抽象性" の違いを感じますが、またそれとは別に、"選曲" にも大きな想像力、創造性、そしてちょっとした勇気も必要と思いました。
鯛 焼 き 魚 拓 2006年 6月 1日
先日たまたま見たNHKの 「熱中時間 : 忙中趣味あり」 という番組で、宮嶋康彦という方の "鯛焼きの魚拓" が放送されていて、私なりに感動したという話。
中にあんこの入ったあの鯛焼きも オートメーションなどの機械ででなく一つづつ手焼きする "天然もの" は今では日本中でも "絶滅危惧種" となってきているということで、同氏はそれを探し出し、買った店先などで新鮮なうちに魚拓を採り、採った元の魚も乾燥させて保管しておく、...と、まぁ全く本物の鯛以上に貴重な扱いをしてました。
さらには自分で デザインして川口市の鋳物工場に依頼して鯛焼き器を作るなど、半端でない熱の入れようは、見ていて笑って済まされない、いや感動ものと言って良い印象を与えてくれました。
天然自然のものや芸術作品とは違って人がその気になればいくらでも作れるものでありながら、それが消えかかっていくことを惜しみ、全国を探し回って記録するという感覚は、かつて時代を画した "文化" に対する愛着というか、惜しむ気持ちそのものが なせる業なのでしょう。
見終わった後、よくよく考えてみれば 当HPも 「"衰退危惧種" (?) の マンドリン音楽の MIDI という拓本 (?!) のページ」 と言えなくもないような気もして、本物でもないものに入れあげるという点では似たところがあるような気もしました。
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