2010年 1月 〜 6月 の 今月のひと言 .
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スーザン・ボイル 2010年 1月 1日
あの冴えない容貌とあの美声との ギャップが ネット上で大きな反響を巻き起こした スーザン・ボイルの歌声が昨日の NHK紅白歌合戦で日本でも披露されました。 日本人にとっての大舞台である紅白での生中継ということでもあり、これまで テレビの ニュースや ユーチューブなどで聴いていた以上に迫力ある歌唱は、"姿と声の ギャップ" への興味を超え、なるほど世界をうならせるものがあるなと思わせるものがあると思いました。
前日の予告番組では、テリー伊藤が 「NHKは凄い。紅白に登場と言うんで、多分衛星中継かと思ったら、実際にご本人を日本に呼んだんだから。」 と、ボイルの話題以前に NHKを讃えるような面白いことを言ってましたが、不思議に私もそう思っていたので、変な話ですけど ナットクでした。...それだけ今や彼女はそう簡単には日本に呼ぶことなどできそうもない、世界的に注目の人となっている証であるということでしょう。
それにしても昨年4月の イギリスの オーディション番組で彼女が舞台に出て、「この オバハン何をするんだ」 といった顔で鼻で笑っていた観客が、彼女が歌い始めるや皆感動的な顔つきに変わった ユーチューブの画面は、それを見ている我々にも感動的でした。
音楽の専門家などには、こうしたいわば "スーボー現象" には眉をひそめる向きも少なくないような気がしますが、"天は二物を与えず" の端的な例として ただ単に姿と声の ギャップを面白がるだけならそうかも知れませんし、だとしたらこの傾向は一時的なもので終わるでしょう。
果たして今後彼女はどうなって行くのか、10年位経って、"ネットで ブレークした一素人が今や大歌手" などという興味本位の現象を超えた段階に入ってくれば、彼女自身もさることながら、ネット上の大衆の価値判断も本物だったということになりましょう。...いや既に "興味本位の現象" は超えつつあるのかも知れません。
アクセス・ランキング 2010年 2月 1日
この 1・2ヶ月前から我が プロバイダーの アクセス解析の内容が改訂され、従来、我々 ユーザーが事前登録した頁についてのみ様々な角度から解析していたものに代わって、事前登録なしで ユザーの サイト内全頁の アクセス数と多少の解析めいたものが表示されるものになりました。
以前の解析の状況は昨年9月のこの "ひと言" で 「アクセス解析」 として取り上げましたが、従来の "様々な角度からの解析" とやらは、事前登録の不便さに加え解析の結果が分かりにくいものでしたが、それに比べると新しい解析は、"解析" というほどのことはない点で物足りなさはあるものの、全頁についての アクセス状況が見渡せる点で実用的なものとなっていると思います。
...そこで早速今回、我が HP全ページから アクセス・ランキング: ベスト・テンを左表にまとめてみました。 カウント開始がいつなのかの記載もないなど、 カウント自体の信頼性は分かりませんが、頁(曲)同士の相互比較の材料にはなるものと思います。
...結果、「禁じられた遊び」 が ダントツの1位で、以下、曲自体の知名度の高い曲が上位を占めており、マンドリン・オリジナル曲は全Up曲ランキングの 10位以内には 1曲も入っていないのは、当サイトとしては残念と言えば残念とはいえ、世間的な知名度との相関という点からすれば素直に ナットクです。
マンドリン曲の中では、「チャールダーシュ」 の 2位、ヴィヴァルディの マンドリン協奏曲 の 3位なども、やはり曲自体や作曲者の知名度のお陰でしょう。 ...そうした中で、知名度には頼れない 「海の組曲」 がそれらを上回って 1位というのは、(ギター曲中 4位の 「モーツァルトの主題による変奏曲」 なども同様ですが) その ジャンルの面目を保っているといった気もします。
上表の曲、作曲者などを確認されるには、この 検索窓をご利用ください。
音質・画質 2010年 3月 1日
バンクーバー冬季オリンピックで湧いたこの2月、薄型テレビや ビデオ・レコーダーなどが売れたそうですが、我が家でも ブルーレイ付きの ビデオ・レコーダー (BD) を買いました。
私の場合は、オリンピックを見ることより、それまで使っていた DVDドライブ付きビデオ・レコーダーが、ハードディスク容量が 160ギガしかなく (今回買ったものは 1テラ)、そのうえ最近では老朽化で トラブルが多発して新品の DVDメディアを オシャカにしてしまうことも多く、買い替えが必要な時期にきていたのと、もうひとつ、BDに繋げば地元ケーブル・テレビに繋がっている我が家の "地デジ非対応の ブラウン管式デジタル・テレビ" でも地デジ化できる、ということが購入動機でした。
購入して もちろんこれらの問題点は解決。 今までの レコーダーでは CPRM (提供者側の著作権対策) によって 1回しかできなくなってしまった ダビング (複写) も、BDによって 10回までできるようになって、ダビング失敗の不安も解消。 そして今問題なく写っている テレビも無駄に買い換えることなく地デジ化できて、まだまだ使っていけそう、ということで、一先ずは メデタシというところでした (^.^)。
そしてこれまで ハイビジョン画質ではできなかった DVDへの ダビングも、ブルーレイにはそれができるようになって、オペラなど高画質の理想的な保存版として残せるようになりました。 最高画質を維持して保存できるということは、ちょっと贅沢な欲求を満足させてくれます。 ...が、そうなってみて一方で思うことは、「でも永年 愛着をもって見るのは、結局画質より中味なんだよなぁ」 というこです。
...音質や画質が良いということは、臨場感を高め、それが感動・感激を増すことは言うまでもないことで、また、一度こうした経験をすると元には戻れないもので、今後とも技術の進展とともにそれらを追求していくことは欠かせないことでありましょう。 もちろん中味、すなわち曲や演奏の出来を含めた総合力が高いに越したことはあるりませんが、...長年を経た後見ると、過去の "最新技術" の "最新" の方は、どうしても色あせてしまいます。
昔買った レコードも、今聴くと、雑音である針音が所々で演奏音の一部かのようにつきまといますし、また家庭で録画して見れること自体が画期的と思われた時代の ビデオなど、遠景や合唱団員の顔など見分けがつかないくらいですが、中味が名曲・名演奏であれば、かえってそれだけに輝きが増してくるように思えます。 ...それら名曲・名演奏の前では多少の針音や ボケなど "アバタも エクボ" でしょう。
春 の 義 理 2010年 4月 1日
今放映されている JR東海の CMに、川端康成の小説 「古都」 からの引用の 「京都の人は御室・仁和寺の桜をひと目見たら、春の義理が済んだようなもんやと言う」 というコメントがあり、その "春の義理" を聞いて 「なるほど」 と思う人、さらには 「自分もそうだ」 と思った人も少なくないのでは、と思います。
...というのは、私自身、新宿御苑の桜が咲くと 「やはり今年もご挨拶しなくっちゃ」 ということで、あの CMで言う "義理" を、ここ何十年か結果的に毎年、果たしてきたからです。 元々花見に行こうと行くまいと自分の勝手な行動であり、まして義理など感じる必要などさらさらないものですが、行かないと、正月の初詣に似て、今年は欠礼したというような気になってしまいます。
私の場合、なぜ新宿御苑なのか、と言いますと、第1に 桜の巨木が多く、第2に 園内も広々としていて、芝生に座ってゆったり眺められるなど、周囲の環境が良いこと、第3に 客筋が良く、酒宴、色々な匂いのする屋台、やかましい音楽などもなく、他人同士が互いに良い状態で花見ができるよう配慮している風があること。 ...こうした条件が整っている、つまり総合力では全国でここが最高ではないでしょうか。
枝を折って家に持ち帰る人も少なくなかった大昔からすれば、全国的にそのようなことは 現在ほぼなくなってきたとはいえ、花の周囲で目や耳を覆いたくなるような場所もまだあるようで、そういったところにその土地の文化レベルといったものが現れるような気がします。 "春の義理を果たそう" と思わせる桜は、木や花だけの問題ではなく、それを支える受け手の人々が大きな要素だと、あらためて思わされます。...音楽会なども似たようなことが言えますね。
カウンター廃止 2010年 5月 1日
当サイトの トップ頁に これまで "'96.9.5. Open以来の来訪数" として掲げていました アクセス・カウンターを廃止し、撤去しました。
日々どれくらいの アクセス数があるかだけでも それを知ることは、提供者側にとっては、工夫・改善の手がかりとも、また励みともなるとともに、一方で訪問者側にとってもその サイトの繁栄度や信頼度といったものを知る手がかりにもなるという点で、意義のあるものではあります。
...が、こうした個人レベルで使える アクセス・カウンターは、各頁毎にも カウントはできる ものの、全頁分を合計し表示するまでの機能がなく、また時として マイナスに カウントされるなどという、あり得ないこともあるなど、カウントそのものに信頼性を疑いたくなるようなこともあり、そのうえに提供者すなわち設定者が、例えば見栄えを良くするために ごまかそうと思えばどうにでも設定できるものですので、設定者だけが、しかもほんの目安として数字の意味を理解できるものでしかありません。 私の場合、各論としての頁数が多く、現実に全頁に カンターを設定するのは現実的ではないため、トップ頁だけを カウントしておりましたので、事実上は "当サイト全頁への来訪数" ではありませんでした。
最近、私などが各頁に カウンターを設定しなくても、プロバイダーの サイトへ見に行けば、全頁トータルの カウント数が 分かるようになりましたが、それを見ますと、日々の当サイト全体の アクセス数は トップ頁だけの アクセス数の 10倍前後もあることが分かりました。 これは トップ頁を経ないで各頁へ アクセスする ケースがいかに多いかということで、これでは トップ頁だけの カウント数を表示していても実態を表していないと言って良いものでしょう。 さらに言うなら、この トータルの カウントもまた いい加減な数え方になっていて、信頼性が乏しいと言わざるを得ません。
これまで 14年間近く、一度でも カウンターを撤去してしまうと "サイト Open以来の来訪数" は途切れてしまうため、目安にしかすぎないものでも継続してきましたが、こうした実態が分かったこの機に撤去することにしたという分けです。 技術的サービスの進歩により カウンターのこれまでの役割が終わったとも言うべきでしょう。 カウンターの意義そのものは やはり大きいものがあると思いますので、さらに進んで "当サイト全頁への来訪数" が計算されて トップ頁に表示できるようにでもなれば、また復活ということもあるかも知れません。
「フィンガルの洞窟」 2010年 6月 1日
先日 「フィンガルの洞窟」 を Upしましたが、この曲や、例えば ベートーヴェンの 田園交響曲をはじめ、当サイトにもある ヴィヴァルディの 「四季」 などの "標題音楽" は、クラシック音楽に近づこうとする人達を親しく迎い入れてくれるものと言えましょう。
私自身、高校生の頃は "交響曲 第○番" とか "ソナタ ○短調" といった "絶対音楽" より、こうした標題音楽の方に親しみを感じ、この 「フィンガルの洞窟」 も当時 400円で買った フルトヴェングラー指揮の 45回転レコードでよく聴いたものでした。 が、もっと大人になってからは、多分に絶対音楽の方に傾斜して この曲のことも すっかり忘れてしまい、つい先日になって、実はもう 1枚、他の曲との抱き合わせで クレンペラー指揮の レコードも持っていたことが判明したくらいです。
...純粋に音楽を味わうという観点からすれば、標題に誘導されて音楽で景観を愉しむなどの姿勢はどこか安っぽい、あるいは子供っぽい、という偏見のようなものも私自身にあるのかも知れません。 ...絵画で言えば、具象画より抽象画の方に価値があるとでもいった感覚でしょうか。
しかし、以前 ヨーゼフ・シュトラウスの ポルカ 「とんぼ」 で述べたことと共通しますが、あらためて 「フィンガルの洞窟」 を自分の手で入力し聴いてみて、音で情景等が再現されるということは、考えてみれば大変なことだと思いました。 ...絵画でも言えることですが、写真機や録音機ほどの道具でも出せない リアルさや臨場感も、芸術家の手を経ることによって、より生々しく伝え、感じさせることができるということを、あらためて思わされました。
...そうそう、一休禅師の 「心とは 如何なるものを言うやらん、墨絵に描きし松風の音」 を思い出しました。 ...この 「フィンガル」 に置き換えれば、"音で描きし海の色" とでもいったところでしょうか。
...以下余談ですが、大昔に買ったこの曲の入力に使った楽譜 (ポケット・スコア) の値段を見てみたら、1963 (昭和38) 年 第2刷・音楽の友社発行で、"\100" とありました。 ...曲理解のために書き込みもしてあったりして、"有効活用" の観点からすれば、400円のレコードもそうですが、当時払った 100円の価値のなんと大きいことか!、そしてこうした限りでは クラシック音楽の楽しみの なんと安上がりなことか!、と思いました (^.^)。
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