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 2012年 7月 〜 12月 の 今月のひと言 .

 HTML5  2012年 7月 1日

 "ホームページを作るための プログラム言語" である HTML については、 HTML5 の登場が囁かれ始めてから かなり月日が経つのに、どうなっているのか、これまでの HTML4 とどう違うのか、など一向に目に見えてきませんでした。 どんな機種・ソフトでも同じように自分の思い通りの画面で見てほしいと思う作る側の者としては、HTMLのこうした新規格による改善が図られるかどうかの関心は少なくない筈です。

 "音を聴かせる" ことが主眼の当サイトでは、機種や ソフトの違いで "音の聞こえ方" が大きく異なる MIDI について、それを全て MP3 に録音することによって一応の解決を図りましたが、"画面の見え方" についても、文字化けがあったり画面が崩れて見えたりして見ている人が多いようでは ガッカリというものです。 ブラウザー・ソフトによっては音も出ないというものもあって、それなどは当サイトにとっては全くの役立たずということになります。 HTML5 演奏パネル

 そもそも HTML5への提唱の動機には、Apple の 故スティーブ・ジョブス の、映像や音の表示に 他社の Flash などに依存しないという考え方に始まったと何かで読んだ記憶がありますが、Windowsパソコン、Apple の諸機種、Andoroid端末などに幅広く、同じように見えて聞こえてくれるような状況が実現できるなら、大いに歓迎したいところで、私もいよいよ手をつけてみようと踏み出したところです。

   ...が、今のところはまだ 2014年頃を目指して仕様の策定中だそうで、HTML5 に対応し、さらに当サイトで統一した MP3 の再生まで対応している ブラウザー・ソフトは Windows の "IE (Internet Explore)"、Google の "Chrome"、Apple の "Safali" の各々最新版 くらいのものだそうで、HTML4 に比べて改善になったのかどうか、あらためてこうした各社の企業戦略に関わる規格の統一は やっかいなことだなと思いました。

 私自身、この機に HTML5以前の問題として CSS (といういわば書法) による全頁の 統一書式化と 画面の配色の修整に手をつけているので作業に手間はかかっていますが、音、写真、文字を一方的に表示するだけの当サイトの頁では、HTML4 から HTML5化へのための さしあたっての変更必須項目は たったの 2行で済む ことではあるんです。 そこで 早速、新曲の 「夜想曲」 や この 6月に試験的に当サイトのいくつかの頁を HTML5様式で記述した頁にしましたが、予想以上に 「HTML5 の頁の演奏パネル (右図=オーディオ・インターフェース、コントローラーの スキン) が表示されない、音も出ない」 という メールを多数いただきました。 ...今は "角を矯 (た) めて牛を殺す" ことのないよう、慌てず、騒がずの姿勢が大事、というところでしょうか。

なお参考までに、上記の "たったの2行で済む" とは、頁の最初に HTML5 であることを宣言する "<!DOCTYPE HTML>" を 1行追加記述、そして演奏パネルを表示して音を出す部分を "<AUDIO SRC="曲ファイル名.mp3" "controls" "autoplay"></AUDIO>" と 1行変更記述する、というものです。

 吉田秀和  2012年 8月 1日

 この 7月23日の NHKテレビ 「クローズアップ現代」 で 「そこに自分の考えはあるか -- 音楽評論家・吉田秀和」 と題して、5月22日に 98才で他界 された同氏の生きざまといった内容が放送されていました。

 予想通り、幻の大ピアニスト: ホロヴィッツが来日した際の大騒ぎをよそにその コンサートを聴いた氏の 「ひび割れた骨董だ」 と評した、有名な "ホロヴィッツ事件" などを中心に、氏の敢然とした評論の姿勢を讃え、紹介するもので、氏をあまり知らない人たちにも、あらためてそうした生き方に目を向けさせる内容のものとなっていたように思います。

 私自身、氏の著作を新たに読んだり、読み返したりすることが最近多くなってきていて、以前読んで ピンとこなかった、曲内容や演奏への指摘などの真意があらためて理解できるようになったり、など、批評眼の深さ、鋭さなどにはますます敬服の度を増してきているという感じです。 今後ますます氏の著作は輝きを増してくるのではないでしょうか。

   そうした中で私の実感として印象に残るのは、3年前の テレビ取材の中で、氏が 「どういう音楽が一番、あるいは一番でないまでも胸に浸みてくるかということになると、それは バッハ、モーツァルト、それに ベートーヴェンだねぇ。 詰まるところはこの3人だなー。」 と語った、いわば ごくありふれた一言で、これを聞いた時、「やはり...」 という感じで氏の到達点としての重みを感じされられた気がしました。

   そうした点で、これまで著作を読んでいて思うことは、逆に ヴィヴァルディ、J.シュトラウス、リスト、サンサーンス、リムスキー=コルサコフ、レスピーギ、そして部分的に チャイコフスキー、ドヴォルザークなど、拒否などは少しもしてないものの、世間の評判ほどには、氏が意識して、あるいは無意識的に理解・関心を、あまり、あるいは、かなり示していない作曲家、作品も少なくないことで、 ...クラシック音楽を 半ば エンターテイメント的に イージーに聴くことの多いと私などからすれば、そうしたところにも氏の芸術に対する見識の高さを感じさせられます。

 0.01秒  2012年 9月 1日

 この 7月末から 8月中旬まで開催されていた ロンドン・オリンピックは時差の関係で、生中継は真夜中がほとんどで、メダルがかかった試合なども多かったこともあって、寝不足の方も多かったことでしょうが、幸い 元々夜更かし型の私は、結果的に今までの オリンピックより以上に テレビ観戦の時間が多かったことでした。

 それらを通して、いつものことでもありますが、例えば水泳や陸上などの競走、柔道他の格闘技、サッカー等々、ほとんどの競技での コンマ1秒以下レベル、数pレベルでの差を感じることがいかに多いか、を感じさせられます。 ビデオ判定を待つまでもなく、競争での頭ひとつ分の差など、例え確度には乏しくとも、ほとんどの人は見分けられますし、コンマ1秒以下レベルでの判断の遅れが敗北を招くなどの例を テレビを通してでも真のあたりにすると、人間の頭脳にあらためて凄さを感じさせられます。

 ...なぜこんなことを言うかといいますと、音楽の世界もその連続で、専門家に言わせれば当然のことでしょうが、例えば スタッカートの音の キレが悪い、とか シャキッとしすぎるとかの判断なども コンマ1秒以下の判断の問題だからで、MIDI で音作りをしている者からすると、例えば 4分音符ひとつにつき 0.1秒、音を伸ばした演奏と切った演奏とでは、曲の印象もずいぶん違ったものになります。 いくつかの音を繋げて奏く スラーの切れ目などは 0.01秒台で、その切れ目のある、なしで違和感を感じる ケースも少なくありません。

   例えば 100%出し続ければ 1秒かかる音符の音を 95%出し続けるか、90%出した所で切るか、MIDIソフトではそれらを音符ごとに 1%きざみで設定でき、テンポについても楽器間の音の バランスについても、画像でいえば ミリ単位の調整が本来必要で、それらは結局何度も聴いて、不都合な部分を修正、推敲することになります。

   そう思うと、机上の パソコン上の "推敲" (の、しかも適当なところで手を打つようなこと (-_-;)) などでは済ませられない演奏家や、スポーツでいえば競技者の、人前での一瞬の判断を思い通りに実現するための "訓練" には凄いものがあるなぁ、と、あらためて思わされます。

 修復 と 創作  2012年 10月 1日

 古い教会の壁画を修復したら、そこに描かれていた キリスト像が 猿のようになってしまったという スペインでの "事件" が 今、テレビや Netを通じて世界中の話題となっています。 普段閑散としていた教会には人が溢れ、町も活気が出て、店々も繁盛、関連グッズも色々と登場し、...等々、憂うべき問題である筈ものが面白さに乗った商業的な意味合いも加わってきて、ますます話題が エスカレートしているようです。

 商業レベルに発展するとなると、当然問題となるのが著作権。 警備費用などがかかるようになった教会が入場料を取るようになったことから、修復した本人である 80才代の女性が著作権を主張し始めているそうで、そうなると関連グッズなどにも著作権が関わってくる分けで、"作者" ご本人には相当な額の著作権料がころがりこんでくることになります。 しかし一方で 著作権が認められるということは、あの "作品" は "修復" ではなく "創作" だったということを意味するため、教会からは修復の契約を違反したことになり訴えられる恐れがあるということになります。

 作者の創造性・独創性が込められたものでない、あるいは 込めてはならない "修復" には著作権が発生しない。 ...この点は当サイトで作っている MIDI の世界で言われていることと同じで、私などからすれば面白いことになってきたなという感じを受けます。

   市販されている楽譜を忠実に丸写ししただけの MIDIデータには、たとえ どんなに苦労して写したとしても、写した者の創造性・独創性が入り込んでいないため、その者に著作権がありません。 したがって、それを他人が コピーしてどう利用しようと自由ですが、ひとたびそれに テンポや音の強弱他の演奏としての創造性の息を吹き込むと、そこに著作権 (厳密には演奏者としての権利である "著作隣接権") が発生するわけです。

   MIDIデータを作っていて思うのは、最初に楽譜を写す作業は、管弦楽の大曲などは地獄だと思うくらい シンドい作業で、それが出来上がって演奏の設定に入ると、今度は天国のような楽しい、至福の時間となりますが、地獄の作業には著作権を主張できず、天国の作業には著作権が認められるという、思えば不思議なようなことになっており、....あの 80才代の女性も 天国的な作業だけをしたことで、経済的にも天国を味わうことになるのかも知れません (^_^)。

 スクラッチ・ノイズ  2012年 11月 1日

 "スクラッチ・ノイズ" とは "アナログ・レコードの表面粒子によって発生する雑音成分。 静電気や傷などが原因となる。 針音。" のことで、レコードを聴いていると プツッ と聞えることのあった雑音です。 レコードが CDになって以降、この雑音とは かなり縁が遠くなったのは技術の発展の賜物ではありますが、実は当サイト上の曲を作り上げる過程ではこれが悩みの種で、先月のこの "ひと言" に書き残した "地獄の作業" と言えるほどのものになっています。 レコードの ターンテーブル

  MIDIソフト を使って楽譜を作り、MIDIデータ を完成させた後、同じ MIDIソフト上でそれを MP3データ化することができますが、今では販売終了してしまった ヤマハのMIDI音源 にこだわる私には、そうした簡便な データ変換ができず、録音ソフトを使って MIDIデータを演奏・録音して MP3データを作ることになっていますが、その際に この スクラッチ・ノイズが入ってしまうのです。

 パソコンには ノイズの原因となる電気信号が常時動いているために、聴く側、作る側とも 各々の パソコン上でこうした ノイズが発生しており、前者は一時的なものでもあり、また作り手の及ばないことでもあって 止むを得ないとしても、後者はその録音を聴く度に必ず聞こえてくるため、極力 ノイズのない録音を目指すことになります。 ...レコードをよく聴いていた、あるいは聴いているという人にはよく分かることですが、怖いのは、その ノイズが音楽の一部となって、聴き手の記憶に残ってしまうことです。

   録音時には耳をそばだてて、気になるほどの プチッ が入ったら即、やり直し。 ...当然、長い曲になるほど やり直しの回数も増えます。 先日 Upした ソルの 「パイジェルロの主題による幻想曲」は 21分強の曲で、これなど覚悟はしていたものの、結局 妥協できる録音にたどり着くまでに 3日かかりました (一日にせいぜい 1・2時間程度しか関わっていませんでしたが)。 やっかいなことに、きれいに録れて ほっとした後に、演奏そのものを直したくなってきたりすることも けっこうあったりします。

   以前 ノイズ除去の ソフトも試したことがありましたが、満足レベルではなく、...昔、レコード製造会社で マスター・テープの録音から レコードの原盤を作る時に これで苦労しているということが書かれた本を読んだことを思い出しますが、50年位経って技術が格段に進歩した今、私がその "地獄" を味わうことになるとは想像だにしておりませんでした (-_-;)。

 清盛 & カッチーニ  2012年 12月 1日

 ネット検索の検索窓に 「清盛 カッチーニ」 と書いてみて、思えば我ながら けったいな組み合わせの文字で検索をすることになったなと思いつつ クリック。 果たして...ズラッとと言うほどではないにしても ヒットした候補が並ぶではありませんか。

 今年の NHKテレビの日曜夜の大河ドラマ 「平清盛」 で聞こえてくるピアノ演奏の BGM が、どう聞いてみても 「カッチーニの アヴェ・マリア」 に違いないと思って検索してみたところ、その通りで、その賛否の議論が盛り上がっているという分けではありませんが、検索していくつも ヒットするということは、意外感、あるいは違和感を感じた人も少なくなかったということにはなると思います。

 この曲が使われる場面は、いわば "やんごとなき人の崩御”の場面などなので、それらの場に相応しい曲としてこの曲が選ばれたのでしょう。 好意的な意見も多いようではありますが、一方で "盗作ではないか" という意見もあり、盗作ではないものの、私は少なくとも、"それにしても何故 アヴェ・マリアを流用したのか" と考えさせられた分、あまり好意的な感じはしてません。

   映画や ドラマで クラシックの名曲が使われることは、洋の東西を問わず珍しいことでもなく、しかも絶妙な効果を発揮しているものもあり、いちいち目くじらを立てることでもありませんが、既存の曲を流用しないで済む環境の中で 必然性もなく時代も場所も異なる雰囲気の曲が入り込んでくるのは、その曲を知る者からすれば、いかがなものかと思われるのではないでしょうか。 たとえ似た旋律であっても、その ドラマ専用の音楽で通すべきではないでしょうか。

   私自身、当サイトで 昔の西洋の曲に現代の日本の景色を背景に使ったりすることもありながら、そもそも 日本の時代劇に西洋音楽を使うことの是非や、こうした ドラマに BGM が要るのか、など、身もふたもないような、勝手で余計なことまで あれこれ考えてしまいました。



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