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 2015年 1月 〜 6月 の 今月のひと言 .

演奏ロボット  2015年 1月 1日

 近年、様々な ロボットが人に置き換わってきているようで、工場などの現場はもちろん、物販・飲食の世界でも、例えば回転寿司店などでは店員の顔を目にすることすら少なくなっています。  今後とも各企業が人件費の圧迫を少しでも軽減し競争を有利に展開していこうとするためには、ますます ロボット化の導入は避けられないでしょう。 また各企業での ロボット化可能な業務は、既にかなり多いと言われています。 今や単純作業では当たり前、センサーや情報の蓄積による判断業務から、さらには思考・創造の分野にまで手が伸びようとしているようです。

 芸術分野である音楽の演奏の世界ではどうでしょうか。 人型ロボットが ラッパを吹いている映像などはもう数年前から目にしてきたところですが、それら ロボットが舞台を埋め尽くした コンサートなどという様も、技術的には もはや かなり可能と思われます。 ...それで聴き手が感動するような演奏ができるのか?とも思いますが、私はそれも可能だと思います。

 元々例えば独奏であれば、その演奏者が自分の頭の中で描いてある演奏設定を舞台上で忠実に実行したものと言え、合奏であれば演奏者が指揮棒に従って忠実に音にしている作業であり、乱暴な言い方で恐縮ですが、それならばそうした設定部分があらかじめ プログラム化されていれば、あとは ロボットにも置き換えられる機械的作業であると言えます。

 もっとも、本来演奏会は音を聴くことが第一目的であることからすれば、コンサートでは なにも人間が見える必要もないとも言え、その意味では ロボットこそ登場する必要もなく、かといって レコード・コンサートとも一線を画す、いわば MIDIコンサートで十分ということになってしまうのかも知れません。 ...ただそれも 歴史的に 家庭に再生装置が普及したことで レコード・コンサートが消えたことからすれば、結局は ロボット・コンサート (?) も MIDIコンサート (?) も将来ともなく、演奏会場へ足を運ぶ意義が 今以上に薄れていくだけのことなのかも知れず、いずれにしても芸術の世界のことゆえ 許せる許せないなどの議論はあるにしても、技術の発展によって 例えば プロの楽団員の方々などには今後とも容易ではないものがあるように思います。


音と映像  2015年 2月 1日

 音楽CDが良く売れていた10年・20年前のことを思うと、当時 2,000〜3,000円の 音楽CDに対して 5,000〜10,000円の 映像の LDは コスト・パフォーマンスから随分高価なものだと思いました。

 今でも例えば 1,000円の 音楽CDと 1,000円の映画や 3,000〜5,000円の オペラの DVD・BDなどと比較しても、私には映像の方が概ね高価だと思っています。 制作にかかる費用を考えると、概ね 片や数百万円、片や数億円ということからすれば映像の方が高価で当然でしょうが、視聴する側からすれば、特に私の場合、コスト・パフォーマンスの点では音楽の方に軍配を上げます。 映像の方はどんなに名画と言われるものでも、私自身は大抵は1回見てしまえば、大抵はもう結構。 音楽の方は先ず1回で終わりということはなく、中には何十回も聴き直し、そして一生持っていたいというもの少なくありません。

 もちろん人によってこの逆という方もおられるとは思いますが、一般論的に ”百聞は一見でも充分” とでもいった、基本的には聴覚と視覚の記憶メカニズムの違いがあると思われるのと、技術の進展で映像の方が音の場合より画質が見るに堪えられなくなるのが早く感じられることも一因だと思います。 それに オペラでさえそうで、まして全編 ただの演奏風景だけの映像ではなおさらで、この点は音楽だからこその事情でしょう。

  私自身 LDのかかる機械が壊れる前に、と思い DVDへ複製したりしましたが、今それらの多くが今の感覚では見るに耐えるものでないものと言えます。 ...と言いながら、実は最近の テレビから録画した ハイビジョン画質の BD の方より観る機会の多いものが少なくないのも事実で、それは画質の古さを超えて内容の良いものが多いという証でしょう。


イヤフォン  2015年 3月 1日

  最近では昔ほど音質にはこだわらなくなって、パソコンで鳴らす音楽は専ら 2千円未満の安物の イヤフォンで聴いていましたが、この 1月末に私としては大枚をはたいて 1万円の イヤフォンを買いました。

 1年位前、以前の イヤフォンが劣化し、その頃たまたま他人からもらった イヤフォンに替えて聴いていたところ、それは高音や低音が強調して聞こえる、いわゆる ドンシャリで、特に私が昔作った MIDIの オーケストラ曲など、ほとんど木管楽器など無視して バランス設定されたかのように聞こえてこないもので、これで音を確かめながら MIDIの演奏づくりをいていたのでは、多くの人は逆に中音ばかり強調された音を聴くことになり、これではいかんと新しい イヤフォンの購入を思い立ったものです。

  ところが店頭で千円以上 5万円位まで色々試聴してみても違いが値段の違いほどは良く分からない。 それと聴き慣れてしまうと安物は安物でも結構いけるという気になってしまうと思うのと、不満でも現に今聴けるものを持っていると思うと、購入決定打といえる物がなかなかみつからない。 ...そうした中でやっと 「これはいい!」 と思えたのが ボーズ社の 「サウンド・トゥルー」 という ブランドの 1万円の イヤフォンだったという次第です。 果たしてじっくりと聴くほどに、それはこれまで聴いていた曲の全てをあらためて聴きなおしてみたくなるほどのものでした。

  実はこれを買った時、針の部分を折ってしまった カートリッジ (レコード針の部分) も同時に買ったのですが、これは昔から私のお気に入りの オルトフォン社の今まで持っていたものとは別ブランドのもので、こちらは 1万7千円。 いずれも ”高級オーディオ” と言うには気が引けるものですが、こちらもあらためて持っている レコードを皆聴きなおしてみたくなるものでした。


ロッシーニ  2015年 4月 1日

  今年の元日に ロッシーニ (1792-1868) (参照: ウィキペディア「ウィリアム・テル」 序曲 を Upしましたが、昨年この曲の演奏を作りながら、あらためて彼の "天才度" の高さを感じさせられた気がしました。 多分その "天才度" は モーツァルトに次ぐ位のものと言えると思います。

 例えば 歌劇 「セビリアの理髪師」 を書いたのが 24才の時で、その年齢自体は天才としては当然とも言えますし、あの 序曲 は他からの流用だそうですが、そうであるとしても約 3時間に及ぶあの歌劇の自由闊達で魅力的な数々の アリアなどを約 3週間で作り、またその調子で年に数本の オペラを書きまくり、結局生涯 39 に及ぶ歌劇の作品は 37才の時の 「ウィリアム・テル」 で終って、その後作曲活動そのものも 「もう私の頭に天から音楽が降りて来なくなった」 ということでほとんど筆を折って、以後は レストランの メニューにも "ナントカ・ステーキのロッシニ風" などという料理があるように、専ら羨ましいような グルメ三昧の毎日。

  ベートーヴェンが彼のことを 「オペラだけ書くと良い」 と言ったとかというように彼には オペラ専門の イメージがあり、また 「セビリアの理髪師」 や 「シンデレラ」 など、楽しい、オペレッタの作家のような イメージが強いようですが、それら以外にも室内楽、宗教曲などにも幅広い名作を残しており、彼のそうした面にもっと目が向けられて良いと思いましたが、既にここ 20〜30年、"ロッシーニ・ルネッサンス" という言葉で彼の再評価の動きが高まっているそうですね。

  ところで昔 私は彼が 1回の食事で食べた、私の実力の 5倍以上はあると思われる量のいわば "西洋版の満漢全席" の料理の数々の記録を読んで、この面での彼の "天才度" (?) も驚異的だなぁと思った記憶があります。


大 改 造  2015年 5月 1日

  ほぼ 3年の月日をかけた当サイトの大改造が完了しました。 ...と言っても、多分、ほとんどの方は 「この サイトの何処が改造されたのか、何が変わったのか分からない」 と仰ると思います。

  各頁の記述を新規格である HTML5 に変更したことがひとつ。 このこと自体の手間は小さいものですが、ただ HTML5 は CSS (文字などの色、大きさ他をパターン化して扱う方式) を基本としていて、それは後々も便利な方式であることから、思い切って全頁をその記述に変更しました。 が、2012年7月のこのひと言 に書いた頃から開始したものの、暇を見てはぼちぼちと進めてきたこともあって、現在 曲演奏の頁だけで 480ページある全てを完了するのに 3年もかかってしまったという次第です。

  そして もうひとつは、それとは別の問題として当サイトの文字データ、音楽データを置いておく プロバイダーの ストレージ容量 (3年前で 2ギガ)では不足しつつあったために他の有料の保管場所にも置いておいたところが、最近になって無料でその容量が 10ギガに拡大されたための元に戻す作業でした。 MP3データの アップロードやその前の下準備にかかる時間も結構大変なものがありました。

  これらは 私にとっては いわば時代や技術の変化に振り回されて ついて行くだけのための作業で、できることなら したくない作業ではありますが、そう思いながらのせいか、私にとってこれらは シンドい作業ではありました。 何年か経つと、時代の進展で またこうした作業が必要になってくることでしょうが、さらに頁が増え、歳もとってくることを思うと、「もう勘弁してよ」 というのが本音の気持ちです。 そしていずれ時代について行けなくなった時は マッカーサーの言葉の "老兵は死なず、ただ消え去るのみ" といったところなのかも、です。


iPod touch  2015年 6月 1日

  ひと月ほど前に iPod touch を買いました。 ...と言っても それは家内の iPod classic の電池が劣化したために 買い換えたものです (写真は左から iPod touch、iPod classic、ガラケー)

  我が家では外出時には夫婦とも大抵 iPod とガラケー (普通の携帯電話) を持ち歩いていますが、今や スマホ全盛の時代で、何でもそれ一台で用が足りるので便利には違いないとは思うものの、高額な通信費を払ってまで乗り換える必要性を感じない者としては、まだこれで十分。 iPod にしても、私がそれ (iPod classic) を買ったのが もう 9年も前で、幸いにして私のものは今でも電池は劣化しておらず、音楽を聴くだけの道具として全く不自由なく使えています。

  そんな次第で iPod を買って以後、その後の新製品には全く無関心で来たのですが、今回家内のものを買い換えてちょっと驚いたのは、Net機能やら カメラ機能やら、いつの間にか ほとんど iPad の小型版と言ってよいほどのものに進化ていたことです。

  これなら外出時でも無料の Wi-Fi (無線LAN) スポットがある所では インターネットも自由に使える分けで、元々外出時に せいぜいちょっとした調べものや確認をする程度しか Net を利用しないであろう者としては、今後各地でそうした インフラが整備されていくとすれば ますます スマホは必要ないと思いました。 が一方で、格安スマホがさらに格安になって一般化してくれば、結局はやはり スマホに集約していくんでしょうね。 ( ...なお、小さなことですが、ガラケーの蓋を閉める時の カチャッという音、...古い カメラの シャッター音のような、...いいですねぇ)



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